完成された組織に、結果で風穴を開けた男
- 3月25日
- 読了時間: 4分
T.Mさん
ブライダル:管理職
勤続17年、既婚

出身地 : 名古屋市 | 好きなスポーツ: バスケット |
出身校: 中部大学 | 好きな言葉: 前例がない、だからやる |
-どういった理由で、こちらの会社に入ろうと思ったんですか?
大学ではコミュニケーション学科で、就活当初は映画・メディア業界を志望し、NHK名古屋で報道のアルバイトもしていました。そんな中、東京の就活イベントでブライダル業界と出会い、特に今の会社の“上質さ”に強く惹かれたんです。勢いや賑やかさではなく、本物のサービスを追求する空気感があって、「働くならここだ」と直感しました。調べるほどに100年企業としての存在感も見えてきて、迷いなく入社を決めました。
-現在、具体的にはどんな仕事をされているんですか?
現在はコスチューム.Div中日本の統括部長として、マネジメントと営業開発を担当しています。結婚式場や神社、ホテルへの業務提携営業を通じて、「衣装提携先として選ばれ続ける仕組み」を構築。提携後のシェア拡大や営業チームの育成にも関わり、成果に直結する動きを重ねています。
-これまでのキャリアの中で、「ここがターニングポイントだったな」って思う出来事はありますか?
大きな転機は36歳で京都エリアの営業担当部長になったことです。京都は本社色が強く、ベテランも多い完成された組織で、最初は正直かなり苦労しました。そこで覚悟を決め、京都に家を構えて本気で向き合う選択をしました。結果、着任初年度に予算達成。未達が続いていた流れを変えられたことで、名古屋で培ったやり方はどこでも通用するという自信と、仕事の再現性を確信できました。
-正直、一番しんどかった時期っていつでした?
一番きつかったのは27〜31歳の店舗マネージャー時代です。4年間連続で数字は達成し続けましたが、毎日深夜まで働き、心身ともに限界に近い状態でした。成果は出ているのに常にプレッシャーがあり、「勝ち続けるのが当たり前」という自分のプライドと周囲の期待が重荷になっていました。髪に影響が出るほど追い込まれていましたが、それでも弱音を吐けなかった、今思えば相当無理をしていた時期でした。
-その苦しい時期から、どうやって立て直していったんですか?
立ち直れた一番の理由は、現場を一人で抱え込む状態から抜け出せたことです。右腕となる存在ができ、責任や判断を分担できるようになりました。結婚式という商材は責任が重く、答えのない対応も多い業界です。だからこそ役割を切り分けられたことで、僕は経営や提携開拓など組織を前に進める仕事に集中できるようになりました。環境が変わったことで、視点も気持ちも自然と前を向けるようになりました。
-もし今、当時の自分に声をかけられるとしたら、何を伝えますか?
一番伝えたいのは「キーマン一人に頼りすぎるな」ということです。岐阜の式場で独占契約のチャンスがあった際、決裁者だと思い込んだ相手に集中しすぎて、結果的に選ばれませんでした。この失敗から学んだのは、提案の前に“通る土台”をつくることの大切さです。以降は現場スタッフ全員を巻き込み、体験の場を用意するスタイルに変更。条件より信頼で勝てる営業に変わりました。
-セールスパーソンとして、ずっと大事にしている考え方って何ですか?
僕が一貫して大切にしているのは「相手をファンにすること」、そして「自分も相手を好きになること」です。相手を好きになれた瞬間、会話の距離感や温度が一気に縮まる感覚があります。また「合わない相手はいない」と考え、タイプを見極めてテンポや提案を自然に合わせてきました。売って終わりではなく、その後も関係が続くことこそが-営業の価値。短期の数字より、長く信頼される存在でありたいと思っています。
-人を育てる立場として、意識していることはありますか?
育成で意識しているのは、立場によって関わり方を変えることです。一般社員にはプロセスを見て、とにかく良い点を拾って褒め、挑戦しやすい空気をつくります。一方、管理職には数字と行動の進捗を常に問い、組織として勝つ軸をぶらしません。やっていないことは叱らず、やっていることに改善を伝える。この線引きを徹底することで、納得感のある指導と前向きな成長を積み重ねています。
-これから先、ご自身としてはどんな未来を描いていますか?
今後は営業に特化したチームづくりをさらに進め、西日本で積み上げた経験を東、特に東京方面へ広げていく可能性も見えています。名古屋に戻るか、東京に挑戦するか、選択肢は現実的になってきました。また衣装領域だけでなく、飲食事業への関わりも視野に入っています。自分から強く主張するタイプではありませんが、「任された場所で結果を出す」。その姿勢で次のステージに備えています。




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