“お願いします営業”を卒業した日
- 5月13日
- 読了時間: 4分
H.Yさん
金融機関:法人渉外
勤続8年、既婚

出身地 : 豊田市 | 生年月日: 1995年 3月 |
趣味: ゴルフ・サッカー観戦 | 好きな言葉: 二兎追う者しか二兎は得れない |
Q. これまでのキャリアと入社のきっかけを教えてください。豊田市出身で、名城大学経済学部を卒業後、銀行に入行しました。就活当時は明確にやりたい職業があったわけではないんですが、黙々と一人でやる仕事よりも、人と関わりながら働く方が自分には合っていると感じていました。銀行を選んだのは、多くの人と出会えて知識や環境が広がる点に魅力を感じたからです。愛知県内で働き続けられる点も自分には合っていて、最終的に愛知銀行を選びました。
Q. 現在はどのようなお仕事をされていますか?現在は法人渉外として、主に事業融資を中心に担当しています。融資だけでなく、保険や不動産、税務、資産形成まで幅広く提案していますが、やはり軸は法人のお客様への融資提案です。単にお金を貸すのではなく、お客様の状況に応じて何が最適かを考えることを大切にしています。設備投資や不動産活用、節税を見据えた提案など、ニーズに応じて幅を持たせた営業を意識しています。
Q. これまでのキャリアで大きな転機は何でしたか?大きな転機は、豊田支店時代に厳しい支店長のもとで働いた経験です。それまでは「お願いします」と案件を持ち込む営業が中心でしたが、その環境では「なぜこの融資が必要か」「他にどんな選択肢があるか」と徹底的に考えさせられました。融資だけでなく不動産や税務も含めて提案する力が求められたことで、営業としての視点が大きく変わりました。今の自分の土台はこの時期に鍛えられたと思います。
Q. これまでで一番辛かった時期はいつですか?一番辛かったのも同じく豊田支店時代です。自分なりに動いて案件を持ち帰っても、支店長の判断で決裁が通らないことが何度もありました。お客様からすると「話を持ってきたのに進まない」という不信感にも繋がり、他行に流れてしまうこともありました。営業として非常に苦しい状況でしたし、決裁権がない以上どうにもできないという構造的な難しさもあり、精神的にもかなりきつい時期でした。
Q. そこからどのように立ち上がったのでしょうか?正直、そこから劇的に立ち直ったというより、抱えたままやり続けたという感覚に近いです。ただ、営業が数字を作らないと支店も成り立たない以上、どこかで割り切るようにもなりました。また給与体系的に成果が全てではない点もあり、「やらなければ困るのは組織側」という考え方もできました。加えて異動の希望も出していたので、環境が変わることが一つの救いになり、今はだいぶやりやすくなっています。
Q. 当時の自分に今アドバイスするなら何を伝えますか?振り返ってみると、「これをやっておけばよかった」と強く後悔することはあまりないです。必要な資格も取っていましたし、その時なりにしっかりやっていたと思います。もちろん今になって宅建を取ろうと思うと、早くやっておけばよかったとも感じますが、それ以上に当時は遊びや人との時間も含めて充実していました。無理に詰め込むより、その時の自分なりに過ごせていたことは良かったと思っています。
Q. セールスパーソンとして大切にしていることは何ですか?一番大切にしているのは顧客本位で考えることです。銀行という立場上、上下の関係が出やすいですが、自分はできるだけフラットな目線で接するようにしています。お願い営業になる場面もありますが、それだけで終わらず別の形で価値を返すことを意識しています。特に保険などは、本当に良いと思って提案しているかどうかが相手に伝わります。自分が納得できないものは売らない、この感覚は大切にしています。
Q. 教育や成長についてどのように考えていますか?7月から係長になる予定で、少しずつ後輩を見る立場になります。ただ今は上司というより、少し上の先輩として関わるイメージです。数字を管理するというより、相談に乗ったり実務面でアドバイスをすることが多いですね。訪問先の考え方や提案の組み立て方などは、経験をもとに伝えています。また、困っていそうな時はこちらから声をかけるようにしていて、相談しやすい雰囲気づくりも意識しています。
Q. 今後のビジョンについて教えてください。直近では7月に係長になることが一つの節目です。その後は副長、次長、支店長とステップアップしていくイメージで、支店長までは10年前後を見ています。もちろん簡単な道ではなく、同期との差や環境の影響もありますが、まずはそこを目指したいです。その先、本部や役員といったポジションも可能性があれば挑戦したいと思っています。まずは今の銀行でできるところまで上を目指していきたいですね。




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