「会社のせい」を捨てた瞬間、すべてが動き出した
- 5月13日
- 読了時間: 4分
S.Mさん
ハウスメーカー:営業職
勤続20年、既婚

出身地 : 名古屋緑区 | 生年月日: 1985年 7月 |
出身校: 愛知学院 | 趣味: サッカー・ゴルフ |
-どうしてこの仕事を選んだんですか?入社までの話を聞かせてください
僕は名古屋市緑区・有松の出身で、大学は愛知学院でした。大学時代にインテリアや不動産に興味を持ち、「文系なら一番難しい営業に挑戦しよう」と考え、注文住宅の営業を志しました。最初は今とは違う別のハウスメーカーS社に入社しましたが、ローコスト路線が強まり価値観とのズレを感じるように。その後、別の会社を経験し、自分の将来像を見つめ直す中で、最終的に「信念を貫ける環境」として今の会社を選びました。
-今はどんな役割で、どんな仕事をしているんですか?
今は完全にプレイヤーとして数字を追いながら、店舗の運営や育成にも関わっています。報酬は基本的に個人連動なので、店舗全体の成果で左右される立場ではないんですが、中小企業なので店舗が崩れると会社経営に直結する。だから現場の安定や底上げは常に意識しています。会社の業績自体は安定している中で、「自分で結果を出すこと」と「チームとして再現性を作ること」この両輪を担っている感覚ですね。
-これまでで一番大きな転機って、どんな出来事でしたか?
一番の転機は、ローコスト住宅の現場を内部から経験できたことです。どんな思想で家が作られて、何が優先されて、何が削られるのか。そのリアルを知れたのは大きかったですね。だから今は、お客様にきれいごとじゃなく本音で話せる。「行くなら上位層を見た方がいいですよ」と言えるのも、実体験があるからです。この経験が提案の説得力を一段引き上げてくれたと思っています。
-正直、いちばん辛かった時期はいつですか?
仕事よりも、生活が本当にきつかった時期ですね。26歳で結婚して、妻には子供がいた。ちょうど売れない時期と会社の業績不振が重なって、待遇や仕組みも変わりました。「このままだと生活がやばい」と思って、半年から1年くらいボーリング場でアルバイトもしてました。当時は会社への不満も多くて、売れない理由を外に求めていた部分もあったなと、今なら冷静に振り返れます。
-そこから、どうやって立て直したんですか?
一番大きかったのは、思考を「会社のせい」から「原因は自分」に切り替えたことです。そこから行動が一気に変わりました。体感で行動量は2.5倍くらい。避けていた飛び込みもやるようになって、情報や出会いが増えたんです。直接の成果だけじゃなくて、「流れ」ができた感覚がありました。家族がいて逃げ道がない環境も、結果的には自分の背中を強く押してくれましたね。
-今だから言える、当時の自分に伝えたいことは?
「これをやっておけばよかった」と強く後悔することは、実はあまりないんです。ただ、積み上げ型の勉強はもっと早くやればよかったとは思いますね。とはいえ、手法を先に入れるより、まず現場でやってから学ぶ方が自分には合っていました。DMの手法なんかも試しましたが、結局一番身についたのは経験値。現場で体得することが何より大事だと思っています。
-セールスパーソンとして、いちばん大切にしていることは何ですか?
根っこにあるのは「感謝」と「恩を返す」という姿勢です。今の生活は、過去に契約してくれたオーナーさんに支えられている。その意識は常にあります。会えば必ず感謝を伝える、礼を尽くす。当たり前のことを徹底するだけです。また、ローコスト住宅の実態を知っているからこそ、届ける価値や守るべき品質への矜持は強い。それが僕の営業の軸になっています。
-人を育てるとき、どんなことを意識していますか?
育成で大事にしているのは、「まず量、そこから学び」です。情報が溢れている時代だからこそ、最初から質を求めて楽をしない。本人が決めた行動量を期限付きでやり切ってもらい、「何が分かったか」を一緒に振り返る。とにかく打席に立たせます。そして続けるには理由が必要なので、将来どう稼ぎ、どう生きたいか、家庭をどう築きたいかまで一緒に描いて、今の行動に意味を持たせるようにしています。
-これから、どんな未来を描いていますか?
正直、出世欲はあまりないです。店長的な立場も、できれば避けたい。偉そうに管理するより、プレイヤーとして価値を出し続けたいんです。根底にあるのは社会貢献で、ローコスト住宅で後悔する人を一人でも減らしたい。耐震や保証の価値をちゃんと伝えたい。60歳で仕事を辞めて起業する構想もありますが、建築そのものでの起業は今は考えていません。業界の裏側も見てきましたからね。




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